2015年1月8日

年始のご挨拶


新年あけましておめでとうございます。楽伝は1月5日(月)、新しい年のスタートを迎えました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

新年早々、狂言師、野村万作・萬斎親子による、「三番叟(さんばそう)」の眼福を得ました。この舞の最後は「鈴ノ段」と言われ、「黒式尉(こくしきじょう)」と呼ばれる黒い面をつけた翁が、鈴を打ち鳴らしながら最初はゆっくり、終盤は勢いを増して舞い納めるものです。この鈴を打ち鳴らす様は種まきを意味していると言われ、五穀豊穣を祈る舞として、また年の初めとしてふさわしく荘厳かつにぎにぎしいものでした。

さて、我々法人の名前は「楽」で始まりますが、この字の上半分は、柄のある「手鈴」の形で、鈴の左右に糸飾りをつけている形で、下半分の木という字はその鈴を掛ける台をあらわしていると解説されています(白川静「字統」より)。


「三番叟」の演目の間、息のあった狂言師親子の持つ「手鈴」、これが「楽」の字の原型なんだなとイメージしているうちに、ある強い思いが浮かんできました。
昨今、「変化」という言葉を目にしない日はありません。生存のために安定した環境を求める生き物である我々は、その「変化」のレベルが大きいと認識すると、本能的に生存への「不安」がかき立てられます。できれば変わりたくない、安住したい。しかし先憂後楽のための準備を動機付ける程度の「不安」ならばプラスに働くでしょうが、過度の「不安」には思考と行動が委縮します。そこまで「不安」に支配されてはいけません。

 
変化」についてこう考えてはどうでしょうか。「変化」の時代の今は、鈴を打ち鳴らすように、種まきをする時期。そして、芽を出すことに心を込めて「期待する」。折しも、今年は未年。未年の「未」という字は枝葉の先が長く伸びてゆく形のことをあらわしているそうです。伸びた先がこれからどうなるのか、という結果は「未だ」わからない。そのわからぬ結果ではなく、まずは物事を始め、動かすことを重視する。種はまくが、芽が出るか・花を咲かせ結実するかどうかについて「今は」問わない。つまり、「不安」が根底にあることを否定しないが、「不安を期待の裏腹」と考え、前に進めるための力に転換できるよう心と頭と身体を使う。ただし、
これには大変なエネルギーがいります。
 

手前勝手な解釈ですが、「不安と期待がないまぜ」になっているからこそ、祈りを込めて種まきを舞う、それが「三番叟」という舞の核。クライマックスとなる鈴ノ段の激しさは大きな「不安のエネルギーを芽生えと成長への期待に昇華させる」プロセスを表現しているように思えました。「不安を期待に昇華させること」、これは人が生きていく上で繰り返し経験する普遍的なエネルギーの転換であり、それを表現しているからこそ、この舞が古来より幾度となく舞われてきたのであろうと。

大きな「変化」を前にすると正直、私も「不安」に足がすくみます。しかし、まずは鼻唄でも歌って気持ちをリセットし、まずは「種まきから始めよう」と心を奮い立たせてみましょう。そして常に「不安」があることも意識しつつ、それが芽生えへの「期待」の裏腹であることを認識して、自分が撒いた種に集中し、「芽が出るように心をこめて慈しみ楽しみながら育てる」というプロセスそのものに焦点を合わせましょう。きっと、「何かが変わってくるはず」。そのプロセスを一度ならず繰り返していると、その足跡となる円は、ふしぎなことに最初の場所から少しずつ場所を変えて描かれ、ふと振り返ると螺旋のような形になっていることでしょう。この「螺旋形の軌跡こそが成長」というものの本質。

本年、我々はそんな思いを胸に「変化に対する不安を、楽しみというエネルギーでプラスに転換し、発信しあう自己」を応援する存在として、「つたえあえば、人生はひらく」を実感していただけるような取り組みに精進してまいります。

鈴の音に空間が嬉しそうにふるえる、そんな未年のスタートを楽しみつつ。 

理事長 西道 広美 拝

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