<伝版®ことはじめ>
もしかしたら、これを読んでくださる方の中には「伝版®」のことをご存じない方もいらっしゃるかもしれないので、伝版®について軽く振り返っておきます。よくご存じの方は<伝版®ことはじめ>、どうぞ読み飛ばしてくださいね。
「伝版®」とは、人の気持ちや考えをひきだし、ひもとき、くみたてるために開発されたファシリテーションのためのグラフィックツールのこと。
ある目的に向かって進む人あるいは人々をナビゲーションするファシリテーションは、その水先案内の道中で、進行を当意即妙に変える柔軟性を求められるため、不測の事態に対応する余力も含め、結果的に多大なエネルギーを要します。人をコトバだけで動かすというのは本当に難しいということを、ファシリテーションの現場に立つたびに毎度思い知らされます。
ファシリテータは、水先案内がスムーズにできるように、その「場のエネルギー」を循環させ続けることも大切な仕事の一つなので、自分自身が消耗してしまうとファシリテーションは務まりません。これを避けるために、息の合った複数のファシリテータが連携して進行することにより、途切れなく場のエネルギーを循環させることはできます。が、複数のファシリテータが呼吸を合わせて進行するには、緊密な連携が必要ですし、クライアントサイドから言えば、複数のファシリテータに依頼するとコストアップにつながります。結果的に現実場面では、1人でファシリテーションを担当しなければならない場面が多くなります。
というわけで、ファシリテータが一人であっても、進行をサポートしつつ、場のエネルギーの循環をスムーズにするツールを作りたい、という狙いもあり、伝版®を開発しました。
実際、伝版®のヘルプを借りてみると、ほぼ間違いなくファシリテータに余裕が生まれます。この余裕は、不測の事態への対応と、持続的な場のエネルギー循環を可能にします。これは伝版®のグラフィックに組み込まれたメタファーの働きによるものです。メタファーの力を借りると、ファシリテータによる少しのインストラクションを添えるだけで、相手は自分自身の気持ちや考えの探索に、スムーズにとりかかることができるというわけです。
で、「誰」をファシリテートするのかというと、すぐに思い浮かぶのは、「他者」。プロのファシリテータは自分ではない「他者」をファシリテートしてこそ「なりわい」を成立させます。これまで、商品開発、組織開発、あるいはキャリア開発の場面で、プロのファシリテータとしての役割を担うことも多かった私は、「他者(一人でもグループでも)」の可能性を拓く際に、伝版®を大いに活用し、その有効性を実感し続けています。
さて。
人生の中でファシリテートする対象としてまず重要なのは当然ながら「他者」ではなく、「自分」。私は、自分で自分をファシリテートできることが自分の人生を生きるための最重要スキルなのだと考えます。
なぜなら、
自由意志で生きられるこの世界に存在する自分の人生は一度だけ。
自由が尊重される時代と場所に存在できること自体、非常に幸運なことですが、その貴重さを存分に生かすためには、自分の人生を自分でファシリテートできることが必要です。さらに言えば、それさえもできずに、そもそも「他者」をファシリテートなどできるのだろうか?といういささか厳しい問いさえ立ち上がります。
そんな気づきが同時多発的に生じたのか、私と共に伝版®を愛用していたファシリテータたちが、伝版®を日常的に自己ファシリテートするためにダイアリー仕立てにすることを提案してくれました。
というわけで、伝版®ダイアリー誕生以降の10年間、伝版®が生まれた当初は想定していなかった日々の自己ファシリテートのツールとして伝版®ダイアリーを使い続けてきました。長年のユーザーさんも、それぞれのスタイルで自己ファシリテートしながら、愛用してくださっているようです。
<コロナ禍と自分のためのファシリテーション>
さて、コロナ禍に見舞われ、誰もが思ってもみなかった約2年。今後もどうなるかは不明ながら、2022年3月の今、ワクチンを含め、日々の対処にも慣れ、ウイズコロナの生活スタイル含め、落ち着きが増してきたように思えます。ただこの間に、さまざまな変化に見舞われ、心理的・経済的・肉体的に辛い思いをした方も多く、思うような出口が見えない方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ここで、敢えて問うてみたいと思います。
果たして、期待通りの出口なんてあるのだろうか、と。
確かに出口らしきものはあるでしょう。ただ、望み描くそのままのたった一つの輝かしい出口ではなく、出口らしきオプションに薄日が差して見え隠れするような状態が続くのかもしれません。それを探りながら進んでいく。出口に対する期待と行動ってこんな感じのあやふやなものなのだと認識を変えることも大切な気がします。
この2年、皆さんの多くがそうであったように私自身も生活や仕事の仕方を大きく変えることになり、それなりの肚決めとチャレンジをすることになりました。仕事が延期になる、キャンセルになる、規模が縮小される、リモートになり、リアルでの実効性が会社として確認されている既存のノウハウが使えなくなったので、新たに対応する・創り出す必要がある、などなど。極小の会社であるがゆえに、できることなんか限られているような気もして、緊急事態宣言が出た2020年4月あたりは本当に、「ぽかん」という感じでした。
この「ぽかん」状態から、自らを「深耕」しつつ、底に埋もれていたものの探索と取捨選択を経て、新たなチャレンジを始めている最近まで、私の伝版®ダイアリーの記載をざっと振り返りながら、この価値をお伝えしたいと思います。
とはいうものの、そもそも私のありようが皆さんにどれぐらい参考になるかわかりませんので、その手掛かりをご提供するためにも、私自身について記述しておこうと思います。
「ぽかん」から目覚めつつある私は、今年で還暦を迎えます。まさに、もう一度オギャーと生まれて生き直すことがぴったりな年齢。社会人歴は今年33年目、新卒➡国内出版社で編集者➡外資系日用品企業に転職、調査業務(この間に結婚)➡国内シンクタンクに転職、調査・マーケティング業務(この間に出産)➡「株式会社伝耕」起業(2009年~、現在も継続中)➡このサイトのNPO開始(2012年~現在も継続中)。
私は男女雇用機会均等法世代ですが、正社員で総合職として社会人を始め、その後も正社員として転職を経験し、結婚し子供を産み、さらに起業して13年会社を続けているというのも、かなりの「レアもの」のようです。試しに統計数値を興味本位で見てみると、2021年4月帝国データバンクよれば、女性社長率は8.1%、業歴別にみると伝耕があてはまる業歴「10~19年」は9.5%らしいので、起業していて、業歴が同じぐらいの人を探すだけでも出現率は0.8%。さらに類似したキャリアの仲間を探そうとするともう無理。「希少種」を越えて、「種」なんか形成できるほど人数がいるのか?というほど「ぼっち」な感じです。
ということで、結果的に希少種(まだ見ぬ仲間はいることにしておきましょう)となってしまった私の伝版®ダイアリーは、会社起業後から今までのチャレンジの記録です。希少種として参考になるような似通った経歴の方は少ないので、迷いだらけの「悪戦苦闘」続きでしたが、そこにコロナ禍。これによって、さらに自己ファシリテーションの必要性が問われた気がしますが、それはとことん孤独と向き合うことを意味するので、辛く感じた方も少なくないかもしれません。そんな方へのエールになればと思っています。
コロナ前の数年間は、国内外含め、各月平均15日程度もあった出張がいきなり無くなりました。皆さんもそうされていたように家に引きこもり、そして月々のスケジュールがいきなりオープンに。というわけで、身体は楽ちんでしたが、世間から必要とされず、これからも必要とされないような気がして、気持ちは空虚。その、とまどいが表れているのが、2020年4月の伝版®(下記)。
←西道私物、2020年5月の伝版®ダイアリー 物騒なタイトル。
←西道私物、2022年4月の伝版®ダイアリー これから花びらを埋める。